矢田寺の歴史と由来
日本のお地蔵さま発祥の地

「矢田のお地蔵さん」で親しまれている矢田寺(矢田山・金剛山寺)は、
城下町・郡山より西へ3.5キロ、矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあり、
日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。
今から約1300年前、大海人皇子(おおあまのみこ…後の天武天皇)が、
壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、智通僧上に勅せられ、
七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基です。
当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、
弘仁年間に、満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました。
お地蔵さんは...
お地蔵さんは、一般的に子供を守る仏様だと思われていますが、
もともとは、仏教が生まれるよりもっと古い時代に信仰されたインドの「大地の神様」が起源で、
「地上に存在する生命あるものの全てをやしなってくださる者」という意味を持っています。
正式には「地蔵菩薩」という名前で、
梵語では「クシチガルブハ」という難しい呼ばれ方をします。
お釈迦様が亡くなってから、弥勒菩薩が悟りを開かれて法を説かれるまでの56億7千万年の無仏の間に出現され、
その身を種々の姿に分身して衆生を救済することが、お地蔵さんの使命とされています。
お地蔵さんの型
各地のお地蔵様の多くは、右手に杖、左手に如意宝珠を持たれているスタイルなのですが、
矢田寺のお地蔵様は、そのほとんどが右手の親指と人差し指を結んだ独特のスタイルで、
「矢田型地蔵」と呼ばれています。
その姿が、あたかも阿弥陀如来の来迎印のようであることから、
このスタイルのお地蔵様は、地蔵・阿弥陀両方の功徳を備えておられると言われています。
また他にも、お地蔵さんには、何も持たない型や、勝軍地蔵と称する、
鎧甲に身をかため、馬に乗って幡をひるがえす、勇ましい像もあります。